20 de septiebmre.2011
「Cocina de futuro va a ser cocina de productos.」
スペインテレビの週刊ニュースで聞いた言葉です。「これからの料理とは、素材の料理だ」。そして、「その点、スペインはスタートから大きくリードしている。これほど素材に恵まれた国は少ないのなから」と続きます。
確かにスペインは、豊かで質のいい、そしておいしい食材に恵まれた国です。大事なのは、スペイン人たちが今そのことを再認識しているということでしょう。
日本では、予想もできなかった規模の原発事故があった。そのことの重み、特に食にたずさわる人間にとっての重みは、スペインのシェフたちも感じています。だから、今までなんでもないことのように受け止めていた食材のありがたさが、改めて分かってくるのです。
「哲学的料理人」と呼ばれるアンドニ・ルイスは「ただ卵を食べるのではなく、誰が生産者か、どんな餌を食べ、どんな育て方をした鶏の卵かを知って食べる。そうすることで、味も違ってくる」と語ります。魚はフライ、エビは塩ゆでと決まっていたアンダルシアの港町で、魚のおいしさをさまざまな角度から追及して新しい皿を作りだそうと工夫しているシェフもいます。
つまり、最先端の創作料理に挑んでいる料理人たちも、「素材と向き合う」ことの大切さに立ち戻ってきているのです。
金沢の市場の加賀野菜
日本の私たちは、どんな形で素材に向き合っていけばいいのでしょう? もっと簡単にいえば、何を食べていけばいいのでしょう? 私にも、答えは分かりません。できるだけ色々なデータを読み少しでも勉強して、理解できた範囲で安心して食べられる食材を選ぶことくらいしかしかないでしょう。
素材だけではなく、どう調理して食べたらいいのか、ということも色々な角度から考えていく必要があります。新しい料理を発明するためだけでなく、古くからの料理のメリットを説明し理由づけるためにも、科学が役立つようになってきました。もはや、科学と料理を切り離しておくことは怠慢と呼ばれる時代が到来しつつあるのです。
そんな、いささか気の重くなるような課題が目の前に積まれてしまった今、一番の救いは、「おいしく食べることの大切さ」はどんな時代にも変わらない」ということでしょう。知識を身につけ、きちんと選ぶ。そのうえで、今この瞬間においしく食べられるものがあることを感謝し、おいしく食べられる健康があることに感謝して、食を楽しむ。それが、このカタストロフの時代を生きていく私たちに許されたスタンスではないだろうか、と考えるこの頃です。
渡辺 万里