「世界料理学会 」報告!その3

世界料理学会
東日本大震災は、避けて通ることのできない命題として、今回の学会の通奏低音のように常に流れていましたが、なかでも被災した現場からの声を届けてくださった塩釜のシェフの写真と話は、日常のなかでの突然の災害の衝撃の大きさを実感として感じさせてくれました。
フランスでの修業時代。まだカフェと呼んでもいいような、塩釜での最初のレストラン。フレンチレストランというものがまだ定着しにくかった時代の地方都市での奮闘が、エレガントなレストランへと結実していくまでの苦労。そしてその積み重ねを一瞬にして押し流した津波・・・。
それは、被災地の多くの方が体験したドラマのひとつなのでしょうが、料理人という共通の立場に立って話を聞く多くの観客にとっては、他人事とは思えない生々しさで迫ってくるものがあったようです。
「冷蔵庫はそのまま流されて、通りの先の建物にぶつかって止まったので無事だった。なかの野菜も無事だったので、翌日からその野菜を使って炊き出しをした。自分も暖かいものがほしかったので、これも無事だった大鍋をずらっと並べて味噌汁を作った・・・」
淡々と語るシェフ。開店当時、一般の人に受け入れてもらうためとはいえ、ハンバーグを出すことにも抵抗があり、カレーを出せと言われても首を縦に振らなかった生粋のフレンチのシェフが、ためらいなく味噌汁を作っている姿は、そこにこそ、「今の時代を、料理人としてどう生きるか」というこの学会の命題への見事なひとつの答えがあることを皆に示唆してくれたのでした。
(Gracias a Chez Nouz, 赤間 善久、http://www.cheznous.co.jp/

渡辺 万里

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2012.04.27
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