スペイン料理ひとりごと・その8
Entre cazuelas y morteros
アイデンティティと「立ち位置」

世界料理学会in Hakodate

6. de mayo. 2012

料理エッセイ
 先日の「世界料理学会in Hakodate」では、うれしいことに異業種交流ができました。といっても料理という業界は同じ、日本料理のプロの方たちと話す機会をもらえたという意味です。
 そういう会話のなかで、料理についての私の質問に対して熟練の料理人さんが答えたこんな言葉が私の耳に残りました。
 「それは、その人の立ち位置の問題でしょう」
 立ち位置。元々は舞台の言葉であろうと思います。舞台のどこに立つか。それは舞台全体から見て上手下手という意味であると同時に、ほかの人に対して前か後ろかという意味にもなるでしょう。
 料理に置き換えるなら、この食材を使うか、使わないか。この調理法を認めるか認めないか。それは自分の立ち位置をどこと定めるかによる、と彼は言いたかったのだと思います。
自分の料理は日本料理という舞台のなかで正統派でありたいのか、異端と呼ばれたいのか。新しい潮流と思ってほしいのか、あくまで伝統の解釈の違いだと主張したいのか。それが立ち位置ということでしょう。そしてそれを西洋風に言うなら、その人のアイデンティティと言い換えていいのではないでしょうか。

世界料理学会in Hakodate

世界料理学会in Hakodate

 今まで、スペイン人との会話のなかで、あるいは書いたもののなかで、「何をidentidad(アイデンティティ)とするか」という言葉を訳するのにぴったりな言葉がみつからずにそのまま使っていたのですが、これがまさに答えではないか、と私は嬉しくなりました。
 「エル・ブジ」の改革は、スペイン料理の地図をすっかり塗り替えました。しかし、例えば仔豚の丸焼きは、そのまま、仔豚の丸焼きとして残っています。
 そこで、親の代からの薪のかまどで仔豚を丸ごと焼くことを、そのまま続けるのか。仔豚は出すけれど、最近流行ってきた低温調理で肉の質感をデリケートに保って焼くか。仔豚という素材と薪の香りだけを残して、まったく違う料理を再構築するか。レストランの建物だけ残してまったく新しいスペイン料理の店に変貌するのか・・・。すべて、その料理人が、自分の立ち位置をどこに定めるか、にかかっているのです。
 と同時に、彼の言葉は料理人に、厳しい自覚を求める言葉でもある、と気づきました。
 前衛と伝統の狭間に、様々な立ち位置があるからこそ、現代の料理は面白い。ただしそれは、なんとなく流されてそうなるのではなく、「ここにいる」という主張を込めた立ち位置だからこそ生きてくる面白さなのだ・・・。そんなことを、日本人ならではのやんわりした言葉のなかにぴしっと込めて教えてくれた料理人に感服しながら、もっと日本の知恵、先人の知恵を学ばなくてはいけないな、そうすることで私自身の立ち位置を確認していかなければいけないなとつくづく反省もしたひとときでした。

渡辺 万里

2012.05.05

スペイン料理ひとりごと・その7
Entre cazuelas y morteros
ア・フエゴ・レント

20 de febrero.2012

料理エッセイ
 スペインの料理の本をパラパラとめくっていて、ふとひとつの言葉が目に止まりました。A fuego lento.弱火で、という意味の、スペイン料理の作り方には絶えず登場する、おなじみの言葉です。
 こんなに見慣れている言葉が気になったのは、ふと「スペインの若い人たちは、この言葉を知っているのだろうか。首を傾げたりしていないだろうか?」という疑問が浮かんできたからです。
 大学の後輩の一人が、都内の高校で歴史の教師をしているのですが、彼女が披露してくれた教室でのエピソードのなかで印象に残っているひとつ。
「ロンドンでもっとも重要な建造物のひとつとして、大英博物館があります」
「え、先生、ダイエーってロンドンにもあるんですか、すごいな!」
こちらは、私の料理クラスでのエピソード。
「鶏肉は足がはやいので、すぐに切り開いて下味をつけましょうね」
「先生、足が速いのと料理と、何か関係があるんですか?」
 食材が傷みやすいことを「足が速い」と表現するのは、もはや死語なのか。両親と歳が離れているので、私のボキャブラリーは時々かなり古めかしいのかもしれないなと思いながら、まな板から全力疾走する鶏の姿を想像して、私も生徒さんと一緒に笑ってしまいました。

土鍋でゆっくり煮込むソラマメのグラナダ風

土鍋でゆっくり煮込むソラマメのグラナダ風

 A juego lento。フエゴは「火」とか「炎」ですから問題ないとして、レントは一般的な訳では「遅い」となります。「遅い火」では、ぴんときません。でも、この言葉を聞くだけで、弱い火の上にかけられた土鍋のなかでコトコトとゆっくり煮込むことを身上とするスペインの家庭料理が、鮮やかに目に浮かびます。つまり、この場合のレントは、「ゆっくり」というニュアンスなのです。ゆっくりした火で。とてもイメージのある表現だと思いませんか?
 でももしかしたら、スペインの若者たちも、
「どうして火が遅いんですか?着火しにくいんですか?」
 なんて料理の先生に質問しているかもしれない。
 言葉は移り変わる。言葉は生きている。それはよくわかっているつもりなのですが、その言葉を生み出した歴史や、言葉の奥に込められた暖かさまで消されてしまうのはさびしいな、と思ったりするこの頃です。

渡辺 万里

2012.02.20

スペイン料理ひとりごと・その6
Entre cazuelas y morteros
もったいない

10 de enero. 2012

料理エッセイ
 スペインの家庭では、パンはまったくと言っていいほど捨てません。食卓のパン籠で残ったパンを仕方なく捨てるというときには、多くの家庭では、パンにキスしてから捨てるよう子供に教えます。日本で、「お米を残すとお百姓さんに悪い」と教えられるのと同じですね。
 この習慣を最初に知った時、不思議だなと思ったのを覚えています。なぜなら、スペインの家庭に食事に招かれるといつも信じられないくらい大量のお料理が出され、それが残るとごみバケツにそのまま捨ててしまう、という光景を何度も見たことがあったからです。
 どうしてパンだけは捨てないの? という私の疑問にきちんと答えてくれるスペイン人に出会ったのは、それから何年も経ってからでした。
 「ソパ(スープ)という言葉、知ってるだろう?ソパというのは元々、液体に浸したパンという意味なんだ。つまり、パンなしにはソパはない。パンはあらゆる料理のスタートだ。だから、捨てないであらゆる料理に使うのさ。」
 そう教えてくれたのは、バスクの料理評論家ミケルでした。

マドリードのレストランのパン

マドリードのレストランのパン

 確かに、パンはいろいろなところに登場します。ソパ・デ・アホ(ニンニクのスープ)はその代表。残り物のパンとニンニクだけでおいしいスープができます。パンを細かくしてパン粉にすれば、クロケッタ(コロッケ)用に。牛乳に浸して揚げればトリハスというお菓子に。そのまま揚げて砂糖をまぶしてピカトステというお菓子にも。
 レシピを読んでいて「パン・ソブラード・デル・ディア・アンテリオール(前の日の余ったパン)」という言葉が材料表に出てくることは珍しくありません。パンに関してだけは、スペイン人は大いに「もったいない」精神を持っている、ということになります。
 それなのに、ほかのお料理はあんなに無駄にして、と内心思っていたら、この頃、家庭では残った料理を捨てることが減ってきたようです。少なくとも、一皿分以上残った料理は保存して「もう1回食べよう」という言葉を聞くようになりました。それは、いくつものスペイン社会の変化を象徴しているかもしれません。
 核家族化が進み、一人分とか二人分の料理が残っていればそれが活用できるようなケースが増えてきたこと。電子レンが普及して、少量の料理を温めるのが楽になったこと。調理済みの料理を冷蔵庫で保存するという習慣が定着してきたこと。そして何より、「たくさんあることがご馳走」という、長い欠乏の時代に培われた習慣が、豊かさのなかで薄らいできたこと・・・。
 喜ぶべき要因も憂うべき要因もひっくるめて、そんな時代の変遷を、台所の一隅から感じることもできるこの頃です。

渡辺 万里

2012.01.11

スペイン料理ひとりごと・その5
Entre cazuelas y morteros
ああ、ハモン、ハモン

1 de noviembre.2011

料理エッセイ
 アカデミー賞受賞で有名になった男優ハビエル・バルデムの出ている映画「ハモン、ハモン」の話ではありません。ハモンのことを書こうと思ったら、語呂がいいのでなんとなく繰り返してしまっただけです。
 ハモン。生ハム。山岳地帯で作るハム。これほどスペインの食生活に密着した存在はありません。絶えず目にするし、食べてもいる。値段もピンからキリまであって、高いのは本マグロのトロを買うような思い切りが必要な値段だし、比較的安いものは、バルでの手っ取り早いおつまみからボカディージョ(サンドイッチ)にはさまって駅で売られているお弁当まで、あらゆるシーンに登場します。
 かつて一世を風靡した闘牛士、エル・コルドベスの伝記小説のなかに、
 「成功をおさめた彼にとって、ベッドの傍らにおかれた1本のハモンは、もう飢えることはないと感じるための最高の保障だった」という1節がありました。
 目が覚める。ハモンが丸ごと目に入る。それが何よりの安らぎを与えてくれる・・・。とことん貧しく飢えた時代を通りぬけ、自分の腕1本と度胸だけで頂点まで這い上がった青年にとって、ハモンこそ成功の象徴であり、自分が金持ちになったと実感させてくれるものだったのです。
 それはまた、スペイン全体が貧しい時代でもありました。今では闘牛士志願の若者たちも、そこまでハングリーではないようです。とはいえ、つつましい庶民の食卓では依然として、ハモンはややぜいたく品です。
 私が最初にスペインの北部で下宿した家では、毎日トルティージャ(ジャガイモのオムレツ)のボカディージョがお弁当でした。他の子が、ハモンやケソ(チーズ)のちょっとぜいたくなお弁当を持ってくるのが内心うらやましかったのですが、そのハモンのお弁当の子がある日私に、
 「あなたはいいわねえ、トルティージャで」
 とちょっと悲しそうにいいました。

マドリード、サン・ミゲル市場内のハム店

マドリード、サン・ミゲル市場内のハム店

 彼女が下宿していた家はかなりの上流階級で、お母さんはいい人ではあったけれど、下宿している日本人の女の子にオムレツを焼いてくれるような暇はないし、そんなことを考えてもみなかった。そしてある日訪ねてきたお祖母さんに至っては「どうして黄色人種の子なんか泊めているの?」とコメントしたそうです。
 だから、私の下宿の貧しくても心のこもったお弁当が彼女には羨ましかったのです。まだ若くて自己中心だった私は、あとになるまでそういったことに気付かず、私を暖かくもてなしてくれた家族に値する感謝の念を感じたのは、大分時がたってからでしたけれど…。
 1本のハモンの、そして一皿のハモンの後ろには、何かしら物語が隠れているのかもしれません。そんなことを思いながら食べるハモンは、肉食の国の食文化の奥の深さをじっくりと感じさせてくれるのです。

渡辺 万里

2011.11.06

スペイン料理ひとりごと・その4
Entre cazuelas y morteros
段ボールの香りは?

10 de octubmre.2011

料理エッセイ
 スペイン人のドライなところ、何のためらいもなくはっきりしているところ。ウェットな国であいまいさを身上とする日本人の感性とはいささかギャップが大きいので驚くこともありますが、そこに彼らのユーモアのセンスが加わると、怒るより笑ってしまう、ということが少なくありません。先日もこんなニュースをテレビで見て、思わず苦笑してしまいました。
 若いアナウンサーが町にでて取材する番組。彼は、最近ブームだというワインのテイスティングのグループを訪れて、いろいろ質問しています。
「ワインを理解して楽しむこと。ただ飲むのとは比較にならない、新しい世界が開けます」
と語るエレガントな講師の女性。テーブルでは、グラスをまわす手つきもなかなか堂に入っている男性、真剣な面持ちの女性など、みな深くワインの世界に埋没している様子。
 そこでアナウンサーは、こっそり中庭に出て「スーパーで1ユーロで買ってきた」というカートン入り1リットルのワインを取り出し、トレイに並べたグラスに注ぎます。そして会場に戻ると、「このワインをテイスティングしてコメントしてもらえますか?」と一人一人に尋ねていったのです。
「最初の香りは悪くない。ボディには欠けるが、とてもコレクトな(正しい)ワインですね」
「全体にバランスがいい。賞をあげるなら、金とか銀というわけにはいかないが、ブロンズくらいならあげられますね」
 1人をのぞいてほぼ全員が、このワインをしっかりほめます。そのたびにアナウンサーが、実に上手に切り返していきます。
「かなり上質なワインです」「さっき、1ユーロで買ったんですけど?」「・・・・・」
「軽やかなバランス。これはナバラ産か、ソモンターノ産ですね」「いえ、スーパー産です」「え、まさか・・・」
 からかわれた相手も、最後は恥ずかしそうに一緒に笑っています。
 そしてきわめつけは、
「赤いフルーツの香り。ほのかな菫のそよぎ・・・」などとお決まりのワインの表現を始めた男性に「段ボールの匂いはしませんか?」「??」「これ、1リットル入りカートンのワインなんですけど!」「そ、そんな・・・」

リオハのワイン店

リオハのワイン店

 あまり良いワインとは思えない、と答えたのは、比較的気取りのない男性一人だけで、アナウンサーが「あなたはえらい!」と握手を求めていました。
 権威あるテイスティングの会だから良いワインに決まっている、と決め込んでしまうこと。有名な店だからおいしいに違いない、と最初から疑わないこと。どれも、自分の舌や鼻ではなく、知識で味わってしまうことの危険性を教えてくれます。
 さらにいうなら、政府が大丈夫だといえば、何のデータもなく信じてしまうこと。政治家がこちらに向かおうと言えば、それが正しいのだろうと自分で考えずにうなずいてしまうこと。ワインの味見くらいでは終わらない、危ない錯覚だと思います。自分の目で見ていること。味わっていることに、もっと自信を持ちたいですね。
 それにしても当分、ワインを前にして「森のフルーツの香りが・・・」と聞くと「段ボールの香りは?」と言いたい誘惑を感じてしまいそうです。

渡辺 万里

2011.10.10
次の記事 | 前の記事
このページのトップへ