スペイン料理ひとりごと・その13
Entre cazuelas y morteros
タンポポのサラダ

5. de mayo. 2015

料理エッセイ
 数日前、お友達のフェイスブックへの投稿に、この写真を見つけました。
 サラダのための、タンポポの葉っぱ。この言葉を見た途端に、O・ヘンリーのとある短編が鮮やかに脳裏に浮かびました。

 ・・・連絡がとれなくなった恋人ウォルターが、恋を打ち明けた日に花輪にして頭に載せてくれたタンポポの花。今、タイピングしなければならないレストランのメニューに「タンポポの葉、ゆで卵つき」という言葉を見て、思わず間違って「愛しのウォルター、ゆで卵つき」とタイプしてしまった若い女性。やがて、そのメニューを見た恋人が、彼女を探し尋ねてきてくれる・・・。
 牧歌的な、そして何とも可愛らしい恋物語を、よく母と二人で読み直しては、「愛しのウォルター、ゆで卵つき」と言って楽しんだのは、何十年昔のことでしょうか。

サラダのための、タンポポの葉っぱ。

サラダのための、タンポポ

 当時の日本で、タンポポの葉のサラダを出すようなハイカラなレストランはなかったことでしょう。でも私たちの脳裏には生き生きと、しゃきしゃきと固い繊維質のありそうなタンポポの葉を盛りつけて、そこに黄色も鮮やかなゆで卵をあしらった皿が浮かんできていました。「食べてみたいね、どんな味だろう・・・」そんな会話が、タンポポではないけれど、身近な素材のサラダにつながったこともあったように記憶しています。
 本のなかの食べ物は、あるときは著者の意図したとおりに、ある場合には著者の意図した以上に読者の食べ物への思いをかきたてます。O・ヘンリーは多分、言葉の質感とイメージを楽しんで欲しかっただけかもしれませんが、私の脳裏には、サラダにもなれば花冠にもなるタンポポのイメージが、その時以来何十年も、刻まれていたのです。
 そんな風に読者の記憶に残る食べ物の話を書けたらいいな、とひそかに願うこのごろです。

 ところで、ここでとりあげた「アラカルトの春」。ほかにも「賢者の贈り物」、「最後の一葉」など、O・ヘンリーの小説は、今の若い人たちにとっては、いささか古めかしいかもしれません。
 でも彼の愛の物語には、どれも感傷的ではあるけれど、美しいものへの憧憬と控えめな恋や口に出さない思いへの共感があふれていて、人の心をしばし暖かく和ませてくれると思います。一度手に取って読んでみませんか?

渡辺 万里

2015.05.05

スペイン料理ひとりごと・その12
Entre cazuelas y morteros
スイカの皮

22. de julio. 2014

料理エッセイ
 暑くなってくると、日本ではスイカの出番ですね。一昔前には高価だったメロンや、マンゴやパパイヤなどトロピカルフルーツが当たり前のものになっても、よく冷やしたスイカにかぶりつく美味しさは廃れていないと思います。

 それに比べてスペインでは、スイカが日本ほど好まれないのはどうしてかな、とふと考えました。まず思いつくのは、スペインではメロンがとても身近な夏のフルーツで、その濃厚な美味しさにはスイカでは太刀打ちできない、ということです。

 日本でも最近はメロンの種類が増えて、かなり甘くて美味しいものも手軽な価格で手に入るようになりましたが、スペインでは巨大なメロンが安い上にとても甘く、その甘さは糖度として計ったら相当なものだと思われます。それに比べてスイカは水っぽく味が希薄な印象になってしまいます。

 しかし日本には、スイカに塩を添えて食べるという知恵があります。こうやって食べると、塩分補給になるというメリットもあるのでしょうが、スイカの甘さが引き立って、希薄な印象ががらっと変わります。

スペインのスイカ

スペインのスイカ

 スペインでも、スイカに塩を添えたら印象が変わって、人気が出るのではないか? 現に、ハモン(生ハム)にメロンを添えるという食べ方は、ハモンの塩味がメロンの甘さを引き立てて一層コントラストを鮮やかにしているし・・・。でも、スイカにハモンでは、スイカが負けてしまいそうですね。水分が多すぎるため、テクスチャー(質感)の相性が良くないのです。スイカを濃縮してテクスチャーを変えたら面白くなるかもしれません。スイカのジュレ? スイカのエスプマ? スイカのガスパッチョ? こうしてテクスチャーで遊ぶことができるのは、スーパーシェフ、フェラン・アドリアが西洋料理に新しい地平線を切り開いてくれたおかげですね。

 スイカのテクスチャーということから、私の母が、瓜の漬け物と並んでスイカの皮の漬け物が好物だったことを思い出しました。歯が弱ったり入れ歯になったりしても、日本人は「カリッ」という漬け物の食感がなくては美味しいと感じないということを、母の嗜好は実感させてくれました。

 スイカの果肉を食べたあとの外皮との間に残る白い部分を浅漬けにすると、カリッとするけれど噛み切れないほど硬くはない、その食感が食欲をそそるのです。季節外れになっても、漬け物を作るためにスイカを探してまわったことも、今は懐かしい思い出です。

 しかしそもそも、「カリカリ」「フワフワ」「サクサク」「シコシコ」など、    食感がもたらす音を表現するオノマトペが他の言語に比べていかに多いかを見れば、日本人にとっての美味という観念のなかで食感が担っている部分の大きさを察することができます。そういう意味では、フェランが発見する数世紀前から、日本の食文化にはすでに「テクスチャーによる美味」という観念が当たり前のもととして存在していたのです。

 2009年頃、イギリスの売れっ子シェフ、ヘストン・ブルメンタールにインタビューしたとき、「僕は最近科学者と協力して、高齢者の食欲とテクスチャーという研究をしているんだ。例えば、ビスケットのさくっとした食感、食べる時の音までもが、食欲を起こす衝動につながっているのではないかと・・・」と語り始めたとき、私は思わず「そんなこと、日本人なら誰でも知ってますよ!」と言ってしまい、ヘストンに怪訝な顔をされました。

 味と香りという二つの感覚を最大限に引き出すことではヨーロッパの食のほうが先輩だけれど、触覚と聴覚を食べる事と結びつけるという点では日本の食文化のほうがはるかに先輩であることを、私たちはもっと誇りにしてもいいのではないでしょうか。

 五感をフルに活用した美味しさ。その素晴らしさを見つめ直すとき、だからこそ良い食材を選ぶこと、的確な調理法で的確な調理時間を選ぶことがより大切になってくるはずです。そして、大切な食材を無駄なく使い切ることも。

 飽食の時代が終わりつつある今、本当の意味の贅沢な食卓とは何かを、もう一度考えてみたいですね。スイカの皮の漬け物も、大地の恵みをフルに活用できる喜びを感じるなら、十分贅沢な一品になるのですから。

渡辺 万里

2014.07.22

スペイン料理ひとりごと・その11
Entre cazuelas y morteros
「琉球」を巡って

10. de noviembre. 2013

料理エッセイ
 先日、家の近くの居酒屋さんで、久しぶりに「琉球」を食べました。
 ご存じの方も多いかもしれませんが、「琉球」というのは、アジなど青魚の刺身を甘口の醤油とネギ、ゴマなどの薬味であえたもので、大分の郷土料理です。そのまま食べてもおいしいけれど、炊き立てのご飯にのせてもおいしい。

 私がこの料理と出会ったのは、大分のふぐ料理屋さんでのことで、そこのおかみさんが名前の由来を教えてくれました。
 「大分の港から漁に出る漁師たちが、長い船旅の途中、捕った魚が傷まないように薬味と醤油で漬け込んでおいて食べた。遠いところまで漁にいくのを「琉球にいく」と言うので、それが名前になったのです」
 最近新たに聞いた話では、名前の由来については違う説もあるようです。また、大分だけではなく鹿児島など九州の他の地方でも「琉球」を食べるようです。

大分の琉球

大分の琉球

 ところで、このふぐ料理屋さんには、Yちゃんというかわいらしい娘さんがいて、縁あって彼女は、私のアカデミーで一時期アルバイトをしてくれたことがあります。そのYちゃんが、仕事の合間に語ってくれた話。それは、彼女がお母さんの経営する料理屋さんを手伝っていた時のことです。
 ほかの従業員はみな留守にしている休憩時間の料理屋さんに、一人の男性が入ってきました。Yちゃんが営業時間ではないので、と一応断ると、その男性はこう言いました。

 「実は今日、刑務所から出てきたんです。久しぶりに琉球が食べたくて、ここなら食べさせてもらえるかな、と思って・・・。」

 Yちゃんは、琉球だけなら私でも作れます、と言ってすぐに作り、琉球と白いご飯を出しました。男性は喜んでそれを食べ、何度もお礼を言って帰っていったそうです。

 私は、まだ18歳くらいのYちゃんから、ずいぶん色々なことを教えてもらった気がしました。まだ将来の方針が決まらない、何をしていくか迷っているというYちゃんでしたが、あの時、琉球を作って食べさせてあげようと決断した彼女なら、何の仕事を選んだにしてもきっと、人に喜ばれる仕事のできる女性になるだろう、しかも判断力のある人間になるだろう、と感じたことでした。
 人と食べ物との出会い。それは、人と人との出会いと同じように、人生のなかで思いがけないほど大きな意味を持つことがあります。食べ物を人に供するということの意味、と言い換えてもいいかもしれません。
 私自身も、かつてスペインで出会った女性の料理人、ティナの料理と言葉を、今も自分のなかに大切に抱えています。
 彼女は、シンプルで美味しい、家庭料理としてのクロケッタ(コロッケ)を私に教えてくれました。そして「おいしい!」と感激する私にこうささやきました。
 「愛情よ。料理に対する愛情。食べてくれる人への愛情。それがあれば、自然においしい料理ができるのよ。」
 Yちゃんも、いつも作ったり食べたりしている琉球という家庭料理に対する愛情、そしてその料理を食べたいと思い詰めてきた人に喜んでもらいたいという気持ちを込めて、一皿の琉球を作ったのでしょう。その琉球のぬくもりは、すさんだ時を過ごしてきた男性を、やさしく癒してくれたのではないでしょうか。
 知識や技術にばかり気持ちが向いてしまう時。人に感心してほしい、驚いてほしいという欲が先行してしまう時。そんな時、ティナの言葉を思い出します。そして、刑務所帰りの男性に素直に琉球を作ってあげたYちゃんのことも思い出します。
 料理を作った人も幸せになる。食べた人も幸せになる。そんな料理を作りませんか?

渡辺 万里

2013.11.10

スペイン料理ひとりごと・その10
Entre cazuelas y morteros
「しつこい」と「あっさり」

11. de diciembre. 2012

料理エッセイ
 「しつこい」と「あっさり」
 実際にスペインにいると、ここの料理はやっぱり濃厚だな、と改めて感じます。同じ量、同じように見える料理を食べても、日本でのそれと比べてずっと満腹感がある。それは油の使い方や塩味のつけ方などによって、微妙に料理の出来上がりが変わってくることの結果なのだろうと思います。
 その最も顕著な例が、世界を代表するレストランとして君臨してきた「エル・ブジ」の料理でしょう。スプーンに一杯だけ出されるのに満足感がある。インパクトがある。というより、ひと匙でちょうど美味しいと感じるように作られた味なのです。そういう料理を20皿も30皿も食べるというのは、あっさりした日本料理の小鉢を20個食べるのとはまったく違う、相当な迫力だということが想像できるでしょう。
 ところが日本人は、基本的に「あっさり」が好き。テレビの食べ歩き番組を見ていると、料理の感想として「あっさりしていて美味しい」という言葉が連発されることからも、それはよく分かります。

「エル・ブジ」の料理。

「エル・ブジ」の料理。

 かく言う私自身も、年とともに「あっさり」に傾きつつある自分の嗜好に気づいています。それはそれで、かまいません。「濃厚」も「あっさり」も、長い民族の歴史のうえに築かれた食文化の嗜好のひとつの形であって、どちらが優れているというものではありませんから。
 でも、自分たちの身に降り掛かっている問題についても「あっさり」忘れたり「あっさり」無視したりしてしまうのは、どうなのでしょうか?
 政治家のやり方に納得できない、今の情勢に不満だと、毎日のように抗議デモを繰り広げ、友達とも家族とも、集まれば必ず現状への不満や批判について「しつこい」くらい議論するスペイン人たち。彼らにこう尋ねられました。
「放射能汚染の問題はどうなっているの? ちゃんと解決していないままなのに、どうして誰ももっと抗議しないの? 汚染で被害を被っている人たちへの補償や援助を、政府はちゃんとしているの? どうして、そのことについてのニュースがどこにも出ないの?・・・」
 私たちも、自分たちの未来を守るために、もう少し「しつこく」なりませんか? 子供たちに少しでもきれいな空と海と大地を残すために、「うるさく」なりませんか?
 私たちの好きな「あっさり」した日本の食事。たとえば貝のお味噌汁も、きのこの炊き込みご飯も、安心して食べられなくなってしまったら。産地を聞き、検疫が済んでいるかどうか確認しないと、お米も買えなくなってしまったら・・・。
 どうすれば、誰を信頼すれば、そんな未来を少しでも防げるのか。皆さんのお知恵を借りて、自分にできることを少しでも探したいと痛感する今日この頃です。

渡辺 万里

2012.12.12

スペイン料理ひとりごと・その9
Entre cazuelas y morteros
「人は交わる友により…」

18. de junio. 2012

料理エッセイ
 「人は交わる友により、良きに悪しきに変わるなり・・・」
 これは、私が高校で教えられた、すごく古風な歌(明治天皇の御后作)の1節です。私ならこれをちょっと変えて「人は食べるものにより…」と言いたいところです。
 フランスの食評論家として名高いブリヤン・サバランにもこんな言葉があります。「あなたが何を食べているか言ってごらん、あなたが何者かあててみせよう」。
 何を食べているか? これはとても基本的で重要な命題です。スペインのように、地方ごとに大きく異なる文化圏を構成している国では、食べ物も地方によって大きく異なります。大げさではなく、「何を食べているか」が、どこの地方のどんな文化圏の人であるかを表していると言っても言い過ぎではないのです。
 ちょっと「私は誰?」クイズをしてみましょう。

マラガ風フライの盛り合わせ

マラガ風フライの盛り合わせ

 「私は週に3回はお米料理を食べます。」
 これは、ほぼ間違いなくバレンシア地方の人でしょう。アラブ民族によって米の栽培が定着したバレンシアはスペイン一番の米どころとして知られ、米料理の多くはこの地方生まれのもの。反対に、米はめったに食べないという地方も珍しくありません。
 「港で水揚げした魚は、すばやく揚げておいしく食べます。」
 これは南部アンダルシア地方の可能性が高いですね。アフリカ大陸に近く夏には40度までも気温が上がるアンダルシアの沿岸では、とれたての魚はすぐ茹でるかすぐ揚げるのが一番賢い料理法です。そしてオリーブ油の最大の産地であり、オリーブ油をふんだんに使うアラブ民族の嗜好を色濃く受け継いだ地方でもあります。
 「放牧している羊のチーズと豆が、もっとも日常的なタンパク源です」
 これは、中央部ラ・マンチャ地方。広大なメセタ(台地)には羊が放牧されていて、その羊の乳から作るケソ・マンチェゴはスペインの代表的なチーズです。かつて魚といえば干したタラくらいしか入手できなかったこの地方には、チーズ以外では豆や雑穀などが主な食材という質素な食事が今も受け継がれているのです。
 「オリーブ油は作っていないので買ってこなければなりませんが、だからこそ上手に使います。土鍋を使う美味しい料理がたくさんあります。」
 これは北部バスク地方。オリーブ栽培の北限に位置しているため南部のように豊富なオリーブ油があるわけではないのに、だからこそ素晴らしい料理の数々を生み出した、美食で名高い地方です。
 さて皆さんは、今日何を食べているでしょう。日本料理? フレンチ? イタリアン?中華? それともファーストフード? デパ地下?・・・・。これでは、新しい食文化圏の、新しい食分布地図を書かなくてはいけませんね。

渡辺 万里

2012.06.18
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